99年春=元X~ラウドネス~DTRのTAIJIこと沢田泰司が、音楽活動を再開するために、古くからの友人であるShuとともにセッション活動を開始。当初は、TAIJI復活の足掛かりにということでのセッションだったが、TAIJIがShuのプレイや楽曲を気に入り、Shuとともにバンドを組むことを決意した。

 

99年6月=Shuの友人であり、10年近くインディーズ・ハード・ロック・シーンを支え続けてきたシンャディのヴォーカリストであるYAZZ(vo)がバンドへ参加する。シャンディは、ちょうど5月に惜しまれつつ解散してしまったが、解散直後にShuから声をかけられバンド加入を決意する。

 

99年5月=YAZZのアイディアから、バンド名をCloud Nine(クラウド・ナイン)とすることが決定。ハードでヘヴィなオリジナル・ナンバーを次つぎと生み出していく。

 

2000年4月=TAIJIのCD付き自叙伝『Xの生と死~宇宙を翔ける友へ』をリリースを機に、さらに本格的な活動を開始。5月には、元ブギー・ベースのA-Joeの加入が決定。正式に4人のオリジナル・メンバーがそろう。

 

 

2000年6月=正式にCloud Nineとしての活動を開始し、定期的なリハーサルを始める。この時点で、楽曲はすでに10曲を越えていた。

 

2000年7月=7月27日発売のロッキンf9月号の表紙をTAIJIが飾る。そのバックには、まだ公には未発表であった新バンド、Cloud Nineのチラシが貼りめぐらされ話題となる。また、インタヴューでも、新バンドについての発言が飛びだし、シーンの期待は高まった。

 

2000年8月1日=デモ音源となるレコーディングを行なう。曲は、ハイブリッド・ロック・チューンの「Speed Rise」とヘヴィで疾走感のあるナンバー「Foolishly Bold」の2曲。この2曲は、その後、[1st demonstration]として、2001年1月に発表される。

 

2000年8月12日=神楽坂ディメンジョンで行なわれたTAIJIのバースデイ・イヴェントに、シークレットで登場。とつぜん現われたCloud Nineにファンは狂乱。そのサウンドに度肝を抜かれる。演奏曲目は、1=「Speed Rise」、2=「Bastard」、3=「Dammit To Hell」、4=「Foolishly Bold」という4曲。

 

2000年8月26日=韓国で行なわれた世界的なロック・イヴェントにトップ・バッターとして出演予定だったが、主催者側の事情によりイヴェント自体がキャンセルとなる。ちなみに、共演は、ラウドネスだった。

 

2000年9月上旬=ロッキンf11月号の付録として付ける2ndデモCD「Bastard」のレコーディングを行なう。なんと、ミックス・ダウンまでを1日で終える。

 

2000年9月10日=横浜ベイ・ホールで行なわれたイヴェント“LIGHTNING STRIKES”にシークレット・ゲストとして登場。トリを飾る。演奏曲目は、1=「Speed Rise」、2=「Bastard」、3=「Dammit To Hell」、4=「Foolishly Bold」という4曲。

 

2000年9月27日=ロッキンf11月号に創刊300号記念付録として、2ndデモCD「Bastard」を付ける。そのハイブリッドなヘヴィ・サウンドに多くの読者が度肝を抜かれた。

 

2000年11月3日=再び横浜ベイ・ホールで行なわれたイヴェント“LIGHTNING STRIKES”にシークレット・ゲストとして登場。またもや、シークレット&真夜中であるにも関わらず、どこからか聞きつけた多くのファンが集まり大爆発。演奏曲目は、1=「Speed Rise」、2=「Bastard」、3=「Ten-EIGHTY」、4=「Foolishly Bold」という4曲。

 

2000年1月=ファンの要望に応え、2000年8月にレコーディングされた「Speed Rise」と「Foolishly Bold」に、「Bastard」のリミックス・ヴァージョンを加えた3曲がスペシャル限定CD[1st demonstration]としてリリースされる。なお、リリースは、Cloud Nineみずからが立ち上げた新レーベル“Blaze up(ブレイズ・アップ)”からとなった。

 

2001年4月=2000年末よりレコーディングに入る予定だったが、幾度の話し合いの結果、音楽的方向性の違いによりTAIJIが脱退を表明。バンド側は、新ベーシストを探し、活動を続けることを発表した。

 

2001年6月=スーパートラップ、the MARCY BANDなどでの活躍でも知られる超ハイパー・ベーシスト、FIREが加入。FIREをともなう新生クラウド・ナインが九州を皮切りに夏のツアーを敢行し大成功に収めた。7月には、富士急ハイランド・コニファーフォレストで行なわれたラウドネス主催イヴェントに出演。

 

2001年9月=Shuプロデュースによるラウドネス・トリビュート・アルバムの制作を発表。クラウド・ナインは、「ROCK SHOCK」の楽曲のレコーディングに入る。その他、参加バンドに関しての詳細は、DISCOGRAPHYのコーナーを参照。

 

2001年11月21日=ラウドネス・トリビュート・アルバム『Rock'n Roll Crazy Night』リリース。

 

2001年12月17日=ラウドネス・トリビュート・アルバム発売記念ライヴを新宿ロフトで敢行。300人オーバーの観客を集める。共演は、サンズオウル、フルトラップ、ラウドダス。さらに、ANCHANG&CLUTCH.J.HIMAWARI(セックス・マシンガンズ)、NOV(アイオン)、橘高文彦(X.Y.Z.→A)、KENTARO(ガーゴイル)らも加わり、最後には超豪華なセッションが行われる。

 

2001年12月28日=渋谷オン・エアー・イーストで行なわれたX.Y.Z.→Aのイヴェントにゲスト出演。最後のセッションでは、X.Y.Z.→Aのメンバーの他、GENKI(元ヴァウワウ)、屍忌蛇(ヴォルケイノ)らとの共演を実現。

 

2001年12月30日=表参道FABで行なわれたイヴェントのトリを務め、2001年を締めくくる。

 

2002年1月=FIRE(b)が他のセッション活動が多忙なため、バンドを離れることとなる。サポートとして参加していたMARUこと田中丸善威が、継続的にクラウド・ナインに参加することを発表する。そして、MARUを迎えた新生クラウド・ナインは、曲作りのためプリプロダクションに突入した。

 

2002年3月=クラブ・チッタ川崎で行なわれたラウドネス主催イヴェント“LOUD'N FES VOL.1”に出演。共演は、ラウドネス、バットケイヴ、YKZ。トリ前の大役を果たし、1,200人オーバーの観客に新生クラウド・ナインをアピール。

 

2002年6月=ついに、初となるアルバムのレコーディングに突入。

 

2002年10月23日=ポリスターより、『MODERN SIDE』(PSCR-6078)と『TRADITIONAL SIDE』(PSCR-6079)という2枚のアルバムをリリースし、メジャー・デビュー。

 

2002年11月20日=クラウド・ナイン企画イヴェント第1弾“Louder's Bowl 1”を、渋谷サイクロンにて行う。

 

2002年11月21日=『STAND PROUD 3』、『JAPANESE HEAVY METAL TRIBUTE 魂2』という2枚のトリビュート・アルバムに参加する。

 

2003年3月2日=渋谷サイクロンにて、クラウド・ナイン企画イヴェント第2弾“Louder's Bowl2”を行う。出演は、フルトラップ、ガンドッグ、他。

 

2003年6月=大阪ベイサイドジェニーにて行われたイヴェント、“志”に出演、超満員の中、宇頭巻、ユースクエイクらと共演する。

 

2003年11月=元サーベルタイガーの下山武徳(vo)率いるシックスライドとの、カップリング・ツアーを行ない、大成功を収める。

 

2003年11月27日=待望のファースト・アルバム『CLOUD NINE』を、徳間ジャパンよりついにリリース。当時としては珍しいDVD付きの仕様だった。

 

2004年2月14日=ファースト・アルバムのツアー・ファイナルを渋谷サイクロンで行なう。ワンマンで250人オーバーの動員を記録(ソールドアウト)。

 

2004年7月15日=初のライヴDVD+CD『LOUD TRIANGLE』を、タワーレコード限定商品として発売。90分に及ぶライヴDVDは、上記の“酸欠ワンマン・ライヴ”の模様を中心に、結成当初からの映像が収録されており、CDには、新曲2曲とリミックス6曲が収録されている。発売後、タワーレコードのウィークリーチャートでは、2位を記録。

 

2004年8月21日=渋谷チェルシーホテルにて、クラウド・ナイン企画イヴェント第3弾“Louder's Bowl 3”を行ない、300人オーバーの動員を記録しソールドアウト。

2004年11月2日=渋谷O-EASTで行なわれた、“女神祭2004 LIVE D.N.A? ”に、元ルナシーのINORAN率いるFAKE?と共にゲスト出演。

 

2004年12月=クラウド・ナイン、everset、BOOZEというハード&ミクスチャーな3バンドによる東阪3マン・ライヴを行なう。予約特典として、3バンドの音源とトークが収録されているスペシャルCDをプレゼント。

 

2005年3月=ライヴ会場限定(後に、要望に応えオフィシャル・サイトでのみ通信販売開始)DVD『EL DORADO CLIPS episode1』を発売。

 

2005年4月=『EL DORADO CLIPS episode1』発売記念ツアーの東京ライヴでは、4月、5月の2回にわたり、夜叉との2マン2デイズ・ライヴ“ホーム&アウェイ方式”を遂行。予約特典とは思えない、両者のライヴ映像、オフショットが40分間収録されたDVDを無料配布。両日ともに超満員を記録。

 

2005年9月21日=セカンド・アルバム『疾風迅雷〜QUICK&LIGHTNING』をリリース。ミックス&マスタリング・エンジニアに、元マシーン・ヘッド~ソウルフライで活躍したローガン・メイダーを起用したクラナイ史上最高傑作と名高いアルバム。ヘヴィなのはもちろんだが、全編に渡りメロディの重要さが際だった楽曲が多く、それらの楽曲がローガンのミックスにより、とんでもないものとして収録されている。

2006年9月20日=再び、ローガン・メイダーをエンジニアに迎え、ミニ・アルバム『疾風迅雷外伝』をリリース。

 

2007年3月=千葉ルックを皮切りに、X.Y.Z.→Aとのカップリング・全国ツアーを行なう。

 

2007年10月=MARUが渡米するため、表参道FABのライヴを最後に第3期CLOUDNINEは活動休止

 

2007年11月=11月3日(目黒鹿鳴館)でのライヴでTAIJIが復帰し、CLOUDNINE ORIGINとして活動開始するものの活動休止状態に。

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99年春=元X~ラウドネス~DTRのTAIJIこと沢田泰司が、音楽活動を再開するために、古くからの友人であるShuとともにセッション活動を開始。当初は、TAIJI復活の足掛かりにということでのセッションだったが、TAIJIがShuのプレイや楽曲を気に入り、Shuとともにバンドを組むことを決意した。

 

99年6月=Shuの友人であり、10年近くインディーズ・ハード・ロック・シーンを支え続けてきたシンャディのヴォーカリストであるYAZZ(vo)がバンドへ参加する。シャンディは、ちょうど5月に惜しまれつつ解散してしまったが、解散直後にShuから声をかけられバンド加入を決意する。

 

99年5月=YAZZのアイディアから、バンド名をCloud Nine(クラウド・ナイン)とすることが決定。ハードでヘヴィなオリジナル・ナンバーを次つぎと生み出していく。

 

2000年4月=TAIJIのCD付き自叙伝『Xの生と死~宇宙を翔ける友へ』をリリースを機に、さらに本格的な活動を開始。5月には、元ブギー・ベースのA-Joeの加入が決定。正式に4人のオリジナル・メンバーがそろう。

 

 

2000年6月=正式にCloud Nineとしての活動を開始し、定期的なリハーサルを始める。この時点で、楽曲はすでに10曲を越えていた。

 

2000年7月=7月27日発売のロッキンf9月号の表紙をTAIJIが飾る。そのバックには、まだ公には未発表であった新バンド、Cloud Nineのチラシが貼りめぐらされ話題となる。また、インタヴューでも、新バンドについての発言が飛びだし、シーンの期待は高まった。

 

2000年8月1日=デモ音源となるレコーディングを行なう。曲は、ハイブリッド・ロック・チューンの「Speed Rise」とヘヴィで疾走感のあるナンバー「Foolishly Bold」の2曲。この2曲は、その後、[1st demonstration]として、2001年1月に発表される。

 

2000年8月12日=神楽坂ディメンジョンで行なわれたTAIJIのバースデイ・イヴェントに、シークレットで登場。とつぜん現われたCloud Nineにファンは狂乱。そのサウンドに度肝を抜かれる。演奏曲目は、1=「Speed Rise」、2=「Bastard」、3=「Dammit To Hell」、4=「Foolishly Bold」という4曲。

 

2000年8月26日=韓国で行なわれた世界的なロック・イヴェントにトップ・バッターとして出演予定だったが、主催者側の事情によりイヴェント自体がキャンセルとなる。ちなみに、共演は、ラウドネスだった。

 

2000年9月上旬=ロッキンf11月号の付録として付ける2ndデモCD「Bastard」のレコーディングを行なう。なんと、ミックス・ダウンまでを1日で終える。

 

2000年9月10日=横浜ベイ・ホールで行なわれたイヴェント“LIGHTNING STRIKES”にシークレット・ゲストとして登場。トリを飾る。演奏曲目は、1=「Speed Rise」、2=「Bastard」、3=「Dammit To Hell」、4=「Foolishly Bold」という4曲。

 

2000年9月27日=ロッキンf11月号に創刊300号記念付録として、2ndデモCD「Bastard」を付ける。そのハイブリッドなヘヴィ・サウンドに多くの読者が度肝を抜かれた。

 

2000年11月3日=再び横浜ベイ・ホールで行なわれたイヴェント“LIGHTNING STRIKES”にシークレット・ゲストとして登場。またもや、シークレット&真夜中であるにも関わらず、どこからか聞きつけた多くのファンが集まり大爆発。演奏曲目は、1=「Speed Rise」、2=「Bastard」、3=「Ten-EIGHTY」、4=「Foolishly Bold」という4曲。

 

2000年1月=ファンの要望に応え、2000年8月にレコーディングされた「Speed Rise」と「Foolishly Bold」に、「Bastard」のリミックス・ヴァージョンを加えた3曲がスペシャル限定CD[1st demonstration]としてリリースされる。なお、リリースは、Cloud Nineみずからが立ち上げた新レーベル“Blaze up(ブレイズ・アップ)”からとなった。

 

2001年4月=2000年末よりレコーディングに入る予定だったが、幾度の話し合いの結果、音楽的方向性の違いによりTAIJIが脱退を表明。バンド側は、新ベーシストを探し、活動を続けることを発表した。

 

2001年6月=スーパートラップ、the MARCY BANDなどでの活躍でも知られる超ハイパー・ベーシスト、FIREが加入。FIREをともなう新生クラウド・ナインが九州を皮切りに夏のツアーを敢行し大成功に収めた。7月には、富士急ハイランド・コニファーフォレストで行なわれたラウドネス主催イヴェントに出演。

 

2001年9月=Shuプロデュースによるラウドネス・トリビュート・アルバムの制作を発表。クラウド・ナインは、「ROCK SHOCK」の楽曲のレコーディングに入る。その他、参加バンドに関しての詳細は、DISCOGRAPHYのコーナーを参照。

 

2001年11月21日=ラウドネス・トリビュート・アルバム『Rock'n Roll Crazy Night』リリース。

 

2001年12月17日=ラウドネス・トリビュート・アルバム発売記念ライヴを新宿ロフトで敢行。300人オーバーの観客を集める。共演は、サンズオウル、フルトラップ、ラウドダス。さらに、ANCHANG&CLUTCH.J.HIMAWARI(セックス・マシンガンズ)、NOV(アイオン)、橘高文彦(X.Y.Z.→A)、KENTARO(ガーゴイル)らも加わり、最後には超豪華なセッションが行われる。

 

2001年12月28日=渋谷オン・エアー・イーストで行なわれたX.Y.Z.→Aのイヴェントにゲスト出演。最後のセッションでは、X.Y.Z.→Aのメンバーの他、GENKI(元ヴァウワウ)、屍忌蛇(ヴォルケイノ)らとの共演を実現。

 

2001年12月30日=表参道FABで行なわれたイヴェントのトリを務め、2001年を締めくくる。

 

2002年1月=FIRE(b)が他のセッション活動が多忙なため、バンドを離れることとなる。サポートとして参加していたMARUこと田中丸善威が、継続的にクラウド・ナインに参加することを発表する。そして、MARUを迎えた新生クラウド・ナインは、曲作りのためプリプロダクションに突入した。

 

2002年3月=クラブ・チッタ川崎で行なわれたラウドネス主催イヴェント“LOUD'N FES VOL.1”に出演。共演は、ラウドネス、バットケイヴ、YKZ。トリ前の大役を果たし、1,200人オーバーの観客に新生クラウド・ナインをアピール。

 

2002年6月=ついに、初となるアルバムのレコーディングに突入。

 

2002年10月23日=ポリスターより、『MODERN SIDE』(PSCR-6078)と『TRADITIONAL SIDE』(PSCR-6079)という2枚のアルバムをリリースし、メジャー・デビュー。

 

2002年11月20日=クラウド・ナイン企画イヴェント第1弾“Louder's Bowl 1”を、渋谷サイクロンにて行う。

 

2002年11月21日=『STAND PROUD 3』、『JAPANESE HEAVY METAL TRIBUTE 魂2』という2枚のトリビュート・アルバムに参加する。

 

2003年3月2日=渋谷サイクロンにて、クラウド・ナイン企画イヴェント第2弾“Louder's Bowl2”を行う。出演は、フルトラップ、ガンドッグ、他。

 

2003年6月=大阪ベイサイドジェニーにて行われたイヴェント、“志”に出演、超満員の中、宇頭巻、ユースクエイクらと共演する。

 

2003年11月=元サーベルタイガーの下山武徳(vo)率いるシックスライドとの、カップリング・ツアーを行ない、大成功を収める。

 

2003年11月27日=待望のファースト・アルバム『CLOUD NINE』を、徳間ジャパンよりついにリリース。当時としては珍しいDVD付きの仕様だった。

 

2004年2月14日=ファースト・アルバムのツアー・ファイナルを渋谷サイクロンで行なう。ワンマンで250人オーバーの動員を記録(ソールドアウト)。

 

2004年7月15日=初のライヴDVD+CD『LOUD TRIANGLE』を、タワーレコード限定商品として発売。90分に及ぶライヴDVDは、上記の“酸欠ワンマン・ライヴ”の模様を中心に、結成当初からの映像が収録されており、CDには、新曲2曲とリミックス6曲が収録されている。発売後、タワーレコードのウィークリーチャートでは、2位を記録。

 

2004年8月21日=渋谷チェルシーホテルにて、クラウド・ナイン企画イヴェント第3弾“Louder's Bowl 3”を行ない、300人オーバーの動員を記録しソールドアウト。

2004年11月2日=渋谷O-EASTで行なわれた、“女神祭2004 LIVE D.N.A? ”に、元ルナシーのINORAN率いるFAKE?と共にゲスト出演。

 

2004年12月=クラウド・ナイン、everset、BOOZEというハード&ミクスチャーな3バンドによる東阪3マン・ライヴを行なう。予約特典として、3バンドの音源とトークが収録されているスペシャルCDをプレゼント。

 

2005年3月=ライヴ会場限定(後に、要望に応えオフィシャル・サイトでのみ通信販売開始)DVD『EL DORADO CLIPS episode1』を発売。

 

2005年4月=『EL DORADO CLIPS episode1』発売記念ツアーの東京ライヴでは、4月、5月の2回にわたり、夜叉との2マン2デイズ・ライヴ“ホーム&アウェイ方式”を遂行。予約特典とは思えない、両者のライヴ映像、オフショットが40分間収録されたDVDを無料配布。両日ともに超満員を記録。

 

2005年9月21日=セカンド・アルバム『疾風迅雷〜QUICK&LIGHTNING』をリリース。ミックス&マスタリング・エンジニアに、元マシーン・ヘッド~ソウルフライで活躍したローガン・メイダーを起用したクラナイ史上最高傑作と名高いアルバム。ヘヴィなのはもちろんだが、全編に渡りメロディの重要さが際だった楽曲が多く、それらの楽曲がローガンのミックスにより、とんでもないものとして収録されている。

2006年9月20日=再び、ローガン・メイダーをエンジニアに迎え、ミニ・アルバム『疾風迅雷外伝』をリリース。

 

2007年3月=千葉ルックを皮切りに、X.Y.Z.→Aとのカップリング・全国ツアーを行なう。

 

2007年10月=MARUが渡米するため、表参道FABのライヴを最後に第3期CLOUDNINEは活動休止

 

2007年11月=11月3日(目黒鹿鳴館)でのライヴでTAIJIが復帰し、CLOUDNINE ORIGINとして活動開始するものの活動休止状態に。